理屈と現状は異なる[No.3188]
指摘する人。
「自分は正しい!」そう思っているから指摘する。
例えば、「こうすれば良くなる!」
けれど、それにはいろんな前提がある。
例えば、海や山が好きならば、
休日にお出かけして楽しめばいいじゃないか。
多くのひとはそう言うと思います。
けれどそれは、晴れた条件が前提ですよね?
ある意味では、雨の日ならではの海や山を
楽しむコトはできるかもしれないけれど、
バーベキューをするコトも、花火をするコトも
限られてくるのです。
・
・
・
鬱病の人、身体が不自由な人に対して、
「障害者向けの仕事をすればいい」
確かに、理屈ではそうなるけれど、
精神的なストレス、身体が不自由なストレス。
…そう伝えても、健康な人には解らないだろうから、
例えば、40度の高熱があるコトを想定してみてください。
そんな熱がある状態で、物事を考えたり、
動いたりするコトができるでしょうか?
それでも世間は、「こうしなさい! ああしなさい!」
高熱の人を指摘しているように思う。
・
・
・
当然、高熱がある状態で動いているのです。
ミスを犯すコトもあるでしょう。
そこで「大変だよね。熱があるから仕方がないよね」
想いやりのある言葉ではなく、
「なにをやっている!バカヤロー!!」では、
やる気も自信も失う社会だと感じます。
・
・
・
世間の意見は正しいかもしれないけれど、
それは心も身体も健康な状態での判断。
健康前提の狭い視野で物事を考えるのではなく、
そうではない人がいると、視野を広く持って考えれば、
心の広さも、想いやりの深さも増し、
あたたかみある人間になるのではないでしょうか。
今日感じたコト
理屈論。それはある程度の条件が揃った状態。
現実には、理屈通りにはいかないのが
殆どではないでしょうか。
そこを攻めるのは、人として小さいと感じます。
理屈と現状は異なる[No.3188]
今日も最後までありがとうございます。
僕のもうひとつのブログ
「嬉しいコト@カラフル!」
http://ameblo.jp/moriyama-tomomi/
お暇な方は遊びに来てくださいね。(^^)
最近のコメント