安心感から続くコト[No.3037]
(日付を調整しています)
本日、久しぶりに友人と遊びに出かけました。
20年共にしている友人です。
「そろそろ食事かな。こっち系の買い物かな。服はこれかな。休憩したいな」
とくに言葉に出さなくとも、
お互いが理解し合い、スムーズに行動できるのも、
やはり、つきあいが長いだけでなく、
お互いが、理解しあおうとした結果だと思います。
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世間には「友達は数だ!」と、量に拘る人もいますが、
僕が思うに、沢山いるからこそ、
「深い交流ができないのかな」とも感じるのです。
15年ほどまえ、僕には少なくとも80人くらいは、
ネットで知り合った仲間が沢山いました。
当時オフ会を主催していた僕は、
地方でも逢ったコトはあるけれど、
顔を知っている程度で、
特に深い関係でもない人が沢山いたのです。
そんな、浅いつきあいの人が沢山いると、
本当に大切な友達と過ごす時間を、
削らなくてはなりません。
「知り合いが博多にくるからオフ会をしよう!」
そんなコトを、毎週のようにしていた時期もあったのです。
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当時僕は24歳くらいでしたが、
気がつくのが、少し遅かったと思います。
「沢山の顔見知り程度の人と合う為に、大切な友人との時間を削る意味なんてあるのだろうか…」
もちろん、顔見知りから深い仲に繋がる場合もあります。
でも、僕が思うに、本当に縁のある人であれば、
頻繁に自分からだけ誘わなくても、
相手からも誘ってくれると思うのです。
自分が声をかけるだけでなく、
相手からも声をかけられる。
いいかえるなら、お互い気遣っているからこそ、
声をかけるのではないでしょうか。
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気遣ってくれる人と一緒に過ごすのは、
肉体的にも精神的にも楽です。
楽というよりも、
「安心する」の方が適切な表現かもしれません。
安心するから長くいられる。
安心できるから任せられる。
そういう友達を、大切にして生きたいです。
今日感じたコト
意見が合う、合わない。
気が合う、合わないよりも、
安心しあえる仲かどうかが、大切だと感じます。
安心感から続くコト[No.3037]
今日も最後までありがとうございます。
僕のもうひとつのブログ
「嬉しいコト@カラフル!」
http://ameblo.jp/moriyama-tomomi/
お暇な方は遊びに来てくださいね。(^^)
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