人をおとせば我がおちる[No.2944]
(長めになっています)
一枚の扉を開けば、2015年という現代が見える。
舗装された道、建物、車、電柱、自動販売機、
スマホを歩きながら扱う人に、
音楽を聴きながら歩いている人たち。
私たちは、そういう便利な世界に生きている。
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でも、タイルカーペットのように、
アスファルト毎、街をはぎ取ってしまったら、
そこに見えるのは、
フローリングではなく、土しかない大地。
もし仮に、街の一部がはぎ取られたとしても、
他の地域や住民たちが、似た世界に戻してくれる。
再び舗装され、家や電柱が立ち並び、
何事もなかったかのように、修復されていく。
亡くなった人は戻らず、
壊れたものは簡単には直せないけれど、
似た世界を作るコトが出来るのは、
情報や、技術者がいるからですよね。
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現代は、多くの情報や資料は、紙ではなく、
データとしてコンピュータに保存されている。
日本から世界へ、世界から日本へ、
必要な情報は、インターネットでやりとりが出来る。
でももし、いま戦争が起きて日本が負け、
ネットが使えなくなり、
多くの情報が遮断され、技術者を失えば、
また、昔のような生活を歩むコトになるのだろう。
人が死に、街が壊れ、衣食住に不自由する人たち。
私たちは戦争を恐れ、そんな不自由さに恐怖すら抱く。
それなのになぜ、私たちは争うのでしょうか。
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出先では、学校でイジメ、会社でもイジメ、
会社同士でイジメ、市や国同士でイジメあう。
そんなストレスから、ネットに避難する人たちが増え、
今度は、ネットで争う始末。
自ら居場所を狭くし、ストレスを溜め、
そのストレスを、人にぶつける悪循環。
戦国時代に比べると、科学も文化も発展したけれど、
戦のように争っている状況は、
あまり変化していないように思う。
良きライバル、お互いを磨き合う戦いなら、
例え負けたとしても、学べるコトは多い。
でも、現代人の争いは、為になるどころか、
ダメになっているように感じる。
Aさんが裕福で幸せに暮らしているのなら、
BさんはAさんを恨み妬み、争おうとする。
嫌がらせ、差別中傷。
それで、Bさんは成長できるのでしょうか。
人として、ダメになっているように感じる。
僕は、そんな昔の争い事はしたくないのです。
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Aさんを妬むくらいなら、素直にスゴいと認め、
情報を集め勉強し、Aさんの上に立つくらいの志が、
本当の戦いだと思うのです。
他人を汚し、相手を困らせるコトが、
勝利ではないと感じるのです。
相手の泣き顔を見たからといって、
なにが得られるのでしょう。
現代に生きる者は、現代の頭脳をもって、
無駄な争いは止め、情報を共有しあえる、
良き仲間(ライバル)であってほしいです。
今日の心得
「自分だけが幸せであればいい」
そんな考えでは、永遠に幸せにはなれない。
協力者は現れないから。
人をおとせば我がおちる[No.2944]
今日も最後までありがとうございます。
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「嬉しいコト@カラフル!」
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