無我夢中[No.2824]
(長めになっています)
少し、考えてみました。
成功者と呼ばれる人たちと、そうではない人たち。
その違いとは、果たしてなんなのだろうか?
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行動力、実力、才能、環境、御縁や運、
いろいろと出てきますが、
もっと、掘り下げて考えると、
視野の違いではないでしょうか。
あくまで、僕が考える視野ですので、
そのレベルでしかないかもしれませんが、
悪いできごとを、チャンスと捕らえるか、
単に不運で終わらせるか。
大きなものを求めて挑戦し、ダメだったからと、
すぐに中くらいのものを求め、それもダメだったら、
小さなものを求め「これではなかった」と文句を言う
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ふと感じたコトなのですが、
例えば、自分が大きな会社に入りたいとします。
でも、断られてしまいました。
さて、これからどうするか?
再び、大きな会社に挑戦するのか?
それとも、中くらいの会社で我慢するのか?
そこで、中くらいに行ってしまい、再び断られたら、
今度は、小さな会社に行くしかありません。
小さな会社では、業務もキツく、給料もやすいので、
人の入れ替わりも激しく、常に人手不足で、
すぐに雇ってもられるかもしれません。
そこで、その仕事についたとしても、
「自分が求めている仕事はこれではなかった!」
結局、そういう結果になってしまうと思うのです。
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それは、当然だと思います。
本当は、お寿司屋さんになりたかったのに、
仕方がないからと、魚屋さんに行ったら、
間に合っていると言われ、市場に行っても断られ、
今度は、漁船に乗り組むようなものだと感じます。
同じ魚つながりではあるけれど、全然違いますよね。
あなたは、なぜこうなったと感じますか?
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僕が思うに、最初に大きなものを求めたのに、
「自分には無理だから、中くらいかな……」
レベルを下げたコトだと思うのです。
別に、常に上ばかりを見て、
プライドの高い人間を目指しなさい!
と言っているのではありません。
冷静に考えれば、分かると思うのですが、
どこの世界に、
「大きなものを目指したけれど断られたので、中でもいいか……小でもいいか」
そんな投げやりな考え方で、
成功した人がいるのでしょうか。
「努力しよう!頑張ろう」という意志ではなく、
「これくらいならできるだろう」と下を見て、
ある意味、なめているとしか思えないのです。
「お寿司屋さんになろうと思ったけれど断られたので、魚屋にきました!」
魚屋さんをなめているコトになりますよね。
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Aを目指したけれど、難しかったのでBの道を進んだ。
それも、その人の人生だと思います。
決して、間違った選択だとは思いません。
でも、自分が決断してBを選んだのなら、
「この道ではなかった、あのときAを突き進んでいたら……」
いつまでも、愚痴を言ったり後悔をするのは、
違うと思うのです。
最終的に道を選んだのは、自分自身ですよね。
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AがダメならBに進むのか。
Aがダメと言われても、再びAを挑戦するのか。
全く違うCという路線から、Aを目指すのかは、
その人の自由であり、どれも正解だと思います。
例え遠回りになろうとも、険しい道だろうとも、
楽な道だろうとも、選ぶのは自分なのです。
楽だったら、楽だった道なりの人生があり、
苦労したら、苦労しただけの人生がある。
見返りを求めず努力しつづければ、
その努力は、実力へと変化すると感じるのです。
僕が思うに、見返りを求めた努力は、
「苦労したフリで見返りばかり求めている甘え」
だと感じています。
そんな人を、あなたは評価したいでしょうか。
下を見ず、上ばかりを見過ぎず(見返りを求めず)に、
余計なコトは考えず、
一心不乱に集中してコトにあたるコトが、
本当の努力なのかもしれないですね。
今日の心得
上を目指しても、下は見ない。
上を目指しても、見返りを求めない。
一心不乱に今ある前を見て行動していれば、
自然と上へ進んでいくものだと感じています。
無我夢中!我も見返り(欲)も忘れて集中する。
無我夢中[No.2824]
今日も最後までありがとうございます。
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「嬉しいコト@カラフル!」
http://ameblo.jp/moriyama-tomomi/
お暇な方は遊びに来てくださいね。(^^)
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