学び続けるコト[No.2789]
(長めになっています)
僕があまり好きではない言葉のなかに、
「わかった!」があります。
ある物事について「わかった!」
なぜ、僕がこの言葉を好きではないのかは、
わかったと言っているうちは、
わかっていない証拠だからです。
例えば、僕の場合、
人から「1 + 1 = 2 ですよ」と、
計算式を教わった場合、
「わかった!」ではなく、「なるほど!」といいます。
なぜ、なるほどなのか?
それは、「ひとつのものと、ひとつのものを足して数えると、ふたつになる!」そう考えるからです。
でも、僕がそう頭で判断できたとしても、
それが本当に正しいかどうかは、
実際には、わかりませんよね。
例えば、化学の問題だとしたら、
ある物質に、ある物質を足したからといって、
必ずふたつと数えるコトができるとは限らないのです。
化学反応を起こし、
ひとつの別の物体になるかもしれないですし、
喧嘩して、ひとつの物体になるかもしれません。
コーヒーと牛乳を足して、
後から入れた牛乳がうわずみとなって現れ、
二色とは数えられませんよね。
黒いコーヒーと、白い牛乳が混ざりあい、
ひとつの茶色になると思うのです。
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かと言って、「わからない!」
そういって逃げるのも、どうかと思います。
ひとコトで、抽象的にわからないと言われても、
それを教えようとする側も、
自分自身で学ぼうとしたときさえも、
どうしたらいいのか、わからなくなるからです。
どこの部分が、どのようにわからないのか?
それを突き止めれば、
その部分を勉強するコトができますよね。
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でも、世の中には変わった人もいます。
自分がわからない世界へ、あえて足や首を突っ込み
無理しすぎるコトです。
別に僕は、宗教そのものや株を
悪いと言っているわけではありません。
自分がよく知らない宗教や、知らない株など、
そういう、知らない世界に無理して入ると、
後で、とんでもないコトになってしまいます。
そういう世界に入る前に、
まずは、勉強が必要だと思うのです。
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その勉強とは、まず最初に、
素直に、自分を知るコトではないでしょうか。
「○○くらいなら自分も知っている!」
そういう考えでは、駄目だと思うのです。
「○○までは自分にもできるけれど、ここから先の世界はどうだろう?」
そこで、知らないのであれば、
なにがどのように、わからないかを調べ、
そこを勉強していく必要があると感じています。
僕が思うに、勉強は、掃除と同じだと感じています。
「一度たくさん掃除した!もう、一生分くらい掃除した!」
例えそうだとしても、
ホコリはたまり、部屋は汚れていくのです。
科学にしても、医療にしても、
「よし!全部学習し終えた!」
仮にそうだとしても、新たな病気やウイルス、
新たな需要でテクノロジーが生まれれば、
結局、その新しいコトを学ばなければなりません。
そういう意味では、この世に「わかった!」
はないのかもしれません。
確かに、一部のコトは理解したかもしれないけれど、
全部は理解していないですよね。
もちろん、僕自身もわからないコトだらけです。
でも、「わかった!」と勉強から逃げ、
「わからない!」と避けるのも嫌です。
逃げたり、避けたりするのではなく、
人生一生勉強!
正々堂々と学び続けるコトが、大切だと感じています。
今日の心得
「わかった!」は、ある意味、
「もうこれ以上勉強したくない!」
逃げているのかもしれません。
学び続けるコト[No.2789]
今日も最後までありがとうございます。
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