想いやりのキャッチボール[No.2581]
(日付を調整しています)
僕が最初に人間関係を整理し始めたのは、
今から10年ほど前になります。
当時僕は、1998年~2003年ごろ辺りまで、
ネットにて、あるファンサイトを運営しておりました。
僕が覚えている限り、仲間は300人超
福岡・大阪・名古屋・東京で
オフ会も主催しておりましたので、
参加して下さった方や、僕が参加したオフ会を含めると
少なくても100人以上の方には、直接お逢いしました。
人数が多いゆえに、直接お話しできたのは、
そのうち60~70人くらいだったと覚えています。
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当時から僕は、信頼出来る親友が三人いました。
信頼し合える親友がいるのに、なかなか逢えません
「なぜだろう?」
そう思ったとき、直ぐに原因はわかりました。
それは、知り合いや顔見知り程度の人達に逢い
時間を使っていたからです。
僕はもともと、友達が多い方ではありませんでしたので、
「よし!ないものは作ろう!」
パソコン通信時代から、
積極的にオフ会に出席したりしていたのですが、
どうやら、増やしすぎてしまったようです。
それに気がついた僕は、積極的には増やさないようにしました。
「どうでもよい人達に逢う為に、大切な人と逢う時間を削りたくない!」
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自然と離れていってくれた方は、
去る者追わずで、特に好きな訳でも嫌いな訳でもなく
ひとつの記憶として、今でも大切にしています。
好きな人に関しては、そのまま交友を続けるだけです。
でも問題は、嫌いな人です。
僕は仕事柄、あまり人見知りをしなくなったので、
見た目や雰囲気、言葉遣いで人を嫌いになるコトは
殆どありません。
「では、僕にとって嫌いな人の基準は?」
10年前の僕は、直ぐに答えは出てきませんでした。
でも、ある顔見知りの方をきっかけに、
「この人とは関わりたくない」という基準を知りました。
それは「人の話しを聞かない人」です。
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彼は僕に、相談があると話しをするコトになりました。
話しを真剣に聞いて、僕の素直な意見を伝えました。
すると相手は、僕の話しを聞く耳がまったく無かったのです。
僕は心のなかで、
「あなたは何をしに僕に相談にきたのですか? 自分の意見を自慢しにきたのですか?」
そう感じていました。
要するに、自分の言いたいコトだけを言って、
人の話しを聞かない、想いやりの無い人なんですね。
似た僕の経験では、
相手が自分の言いたいコトだけを言って
「この話しはもう止めよう!」
勝手に話しを終了する人
きっと、自分にとって都合の悪い意見を聞きたくないのでしょう。
そして、聞く度胸もないのだと感じます。
もしそれで、言い争いになって喧嘩になったとしても、
僕は、それで喧嘩をする相手なら、
それまでの関係であり、そういう器の人間であり、
付き合うまでの価値が無かった人だと、割り切っています。
些細なコトにイライラして怒ったり
自分の意見を押し付けて、
相手を思うように動かそうとしたり
きっと、器が小さいのですよね。
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会話するなかで「私はこう思う」
それに対して「いや、これはこうだ!」
自分の価値観を強制する人がいます。
「あなたは経験したのですか? 言葉や文章をよく見聞きしましたか?」
と問いたいです。
「彼はこう思っている」意見に対して、
「あなたの思っている」意見ですよね?
あるラーメン店を、
「美味しく思う」か「まずく思うか」は個人の自由
強制される理由はないのです。
「いや、これは美味しいんだ!」
あなたが強制されたとき、気分はいいでしょうか?
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会話は言葉のキャッチボール
その本質は、想いやりのキャッチボールだと感じるのです。
一方が言いたいコトや想いをぶつけるのではなく、
相手が返してくれるからこそ、面白みがあるのです。
相手に言葉を投げるだけ投げて、
「この話しは終わりにしよう」では、
相手からのボールは、受け取らないコトになります。
きっと、受け取れる技術が身についていないのかもしれません
自分はAの意見、相手はBの意見
頑として自分のAを通そうとする人
そういう想いやりのない人は、仲間も少ないと思います。
もし仮に、パートナーに出逢い
結婚するコトになったとしても、
長く続かないコトは目に見えていますよね。
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「私は相手よりも年上だから偉い! だから年下のお前は私の言うコトを聞くべきだ!」
それが通用するのは、中学生までだと思います。
市立・公立など、差はありますが、中学までは義務教育
時代の変化もありますが、基本的には、
同じコトを学んでいるハズです。
でも、高校からは違います。
義務で学校から学ばされるのではなく、
自分で進むべき道を選び、大人への階段を登り始めるのです。
僕は、年下・年上あまり関係ないと感じています。
年下でも、ブログや本などで学ぶべき人は沢山います。
年上でも、失敗だらけの駄目は人も沢山います。
「実力化・努力家の若手ベンチャー企業の社長さん」
「ギャンブルにハマり借金を背負い、路頭に迷った結果、ホームレスになってしまった年配の方」
「家にこもりがちで人生経験が少なく、歳だけ取ってしまった年配の方」
失敗している年上の方もいれば、
成功している年下もいるのです。
ですので僕は、年齢ではなく、
その人そのもの素晴らしさを、先輩だと尊敬しています。
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すみません、なんだか長くなってしまいましたね。
僕がいちばんお伝えしたかったコトは、
年上、年下関係なく、相手の学ぶべきところ
相手の認めるべきとことは素直に認め
自分の言いたいコトだけを言うのではなく、
相手を想いやる気持ちを大切にしたいコトです。
自分の器、相手の器を大きくする為にも、
沢山話し、相手とキャッチボールしあうコトによって、
大きく、割れにくく、強い器になっていくんじゃないかな。
今日の心得
自分の気持ちだけを考えるのではなく、
相手の気持ちもしっかりと
考えられるゆとり(器)をもつ
想いやりのキャッチボール[No.2581]
今日も最後までありがとうございます。
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