昔の貧乏と現代の貧乏[No.2580]
(日付を調整しています)
数日前テレビにて「ビンボーさんのお家拝見!」
的な番組を偶然目にしたとき、
僕は、ある違いに気が付きました。
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僕が小学三年生の頃、父と母は離婚し、
僕は母の元で新たな生活をするコトにしました。
持って出かけたのは、
着替えと、僕のファミコンくらいです。
母との新たな住まいは、ボロいアパートで、
テレビも無ければ、冷蔵庫も無い
洗濯機も無ければ、冷房に暖房も
ガスコンロさえも無い状態です。
母種家庭として、生活が始まりました。
最初は本当に貧乏で、カセットコンロでラーメンを作り
安いもやしでカサ増ししてから、一袋のラーメンを
母と半分ずつして食べていた状態です。
今から30年程前のコトですが、
貧乏だったウチは、本当になにもありませんでした。
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最近テレビで観たビンボーさん宅
僕から見ると、全然貧乏ではありません
確かに、狭い部屋に住んではいますが、
ケータイ、テレビ、ビデオ、ゲーム機、エアコン
冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、バイクや車など
必要なものは全部揃っているのです。
唯一「決定的に違うな!」と感じた点は、
部屋の汚さです。
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昔の貧乏さんは、本当に物がありませんでした。
覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、
昔はある一定以上のお金持ちを
「3C」と呼んでいました。
カラーテレビ、クーラー、カー(車)
すべての頭文字がCなので、3Cと呼んでいた時代です。
これらを持っている人はお金持ち!
昔の貧乏さんは、それだけ物がなかったのです。
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僕が最近感じたコトですが、
昔の貧乏 = 物を持っていない
昔のお金持ち = 沢山物を持っている
現代の貧乏 = 物を持ちすぎている
現代のお金持ち = 物を沢山持っていない
だと感じたのです。
現在は物が安く、場合によってはタダ同然の値段で、
家財道具一式揃えるコトだって可能な時代です。
特に日本は、物に恵まれた国なんですよね。
貧乏性故に、「捨てるのが勿体ない!」
と溜め込んでしまい、快適な生活も出来ず、
ストレスが溜まったり、病気がちになってしまうのです。
極貧でも、特別生活に困らないものですから、
向上心も芽生えないと思うのです。
ふと思ったコトですが、貧乏な人ほど、
変なところに拘りがあるような気がします。
例えば、「電子レンジはこれじゃなきゃ駄目! 洗濯機はこれじゃなきゃ駄目!」
高い家電を買えば、美味しく調理出来、
キレイに洗濯出来ると思っているようです。
本当にそうでしょうか?
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現代の裕福な家庭は、
無駄なものをあまり持っていないようですね。
高価な高級車は必要なく、タクシーで十分です。
(出先で駐車場に困らなくて済みます)
高価な洗濯機を買わなくても、大切な衣類はクリーニングに出します。
(プロの技でアイロンもパリっと決まります)
高価な電子レンジや鮮度を保つ高性能な冷蔵庫がなくても、コンビニや出前でも、お手軽に美味しい料理が食べられます。
(作る手間も省けます)
便利な現代は、不便だった昔のように、
そんなに物が必要とは思えないのです。
いちばん良い例えは、スマホではないでしょうか?
スマホさえあれば、
「電話・パソコン・カメラ・音楽プレイヤ・時計・電卓・メモ帳・電話帳・辞書・地図・ナビ・ライト・ゲーム機」
まだまだ沢山あると思いますが、
随分と物を減らすコトが出来ます。
僕が思うに、本当に幸せになる為には、
物を減らし、スッキリとさせるコトだと実感しています。
ですので、断捨離を続け、物を減らしているのです。
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「目に見える物」を勿体ないというと
「目に見えない物」を失います。
使わない物が沢山入ったダンボール箱
快適な空間や、スッキリした気持ちが失われるのです。
使わない物を「勿体ない」と取っておくコトと、
「快適に感じたい!スッキリしたい!」
そんな気持ちを手放すコト
どちらが人生として勿体ないでしょう。
僕個人としての分析ですが、
現代の幸せな家庭は、
沢山の物に囲まれて、息苦しい住まいを強いられるのではなく
「無駄な物が少なく、スッキリとキレイな生活を保っている家庭」
だと感じています。
今日の心得
物が多い = お金持ちや裕福ではない
スッキリとさせ、心の裕福な人になりたい
昔の貧乏と現代の貧乏[No.2580]
今日も最後までありがとうございます。
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