見返りと対価[No.2568]
仕事でお金を手にするコトは、
生活する為に必要なお金を、
対価として頂く行為だと感じています。
世の中には、見返りを求めて行動する人もいますよね。
「○○社長にゴマをすっておけば、いづれ昇格出来るだろう!」
でも、社長以外の人にはゴマをするコトはありません
それは「自分の得にならない!」
そう思っているからですよね。
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僕が思うに、見返りを求める人は、
ケチな人なんだと感じています。
社長にゴマをすっているのは、社長の為ではなく、
自分が昇格する為、自分の為です。
だから、人の為に動けないのです。
仕事は、生活する為に必要な対価を頂く行為ですが、
仕事そのものは、相手の為に動くコトですよね。
料理が出来ない人に代わって調理し、
運転出来ない人・車を持っていない人に代わって運転し、
修理出来ない人の代わりに修理をし、
手術出来ない人の代わりに手術をする
対価を頂くには、人の為に動くコトだと感じています。
それなのに、自分の為(見返りを求めた行動)
しか出来ない人は、仕事も本気ではないのです。
「給料をもらう為に仕方なくやっている」
きっと、その程度だと思います。
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昔ウチは貧しかったので、僕は中学生の頃から、
いろんな仕事をしていました。
お給料(対価)を頂く以上は、例えプロでなくても、
その道のプロと意識して、
責任を持って仕事をさせて頂きました。
相手(お客さん)は、対価を支払ってくれるのです。
その対価は、見返りではなく、
人の為に動いたご褒美だと感じています。
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僕の文章能力では、
上手く表現しきてれいないかもしれませんが、
僕が感じている仕事とは、
「プロ意識をして働く → 自分の為ではなく人の為 → それに答えてお客さんが対価を支払う → 結果お給料を頂く」
だと感じています。
最初から見返りを求めてしまうと、
「見返りを求めて働く → 自分の為 → お客さんは誰に対価を支払う? → お給料は貰える?」
このように感じるのです。
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「自分はお給料が少ない! 生活がつらい!」
確かに、経済的にそうかもしれないけれど、
自分の為ではなく、相手の為を思って行動しているかどうかで、
今後の収入も、変わるんじゃないかな。
今日の心得
見返りを求めて行うのは自分の為
見返りを求めず相手の為に真剣に行動出来たとき
真の対価を頂けるのだと思います。
見返りと対価[No.2568]
今日も最後までありがとうございます。
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