結果的に自分が困るから
[No.2286]
(現在8月22日午前0時を過ぎてしまいましたので、日付を調整させて頂いています)
あまり、人にはお話ししたくないのですが、
話しの流れ的に、書かせて頂きますね。
僕は、三つの持病を持っています。
ひとつめは、紫斑病(しはんびょう)といって、
アレルギー病の一種で、体にじんましんのようなものが出ているときや、
疲れているときにケガをすると、血が止まらない病気です。
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ふたつめは、脊髄分離症(せきずいぶんりしょう)といって、
せきずいを支える骨と骨の間にクッション(軟骨のようなもの)
が左右にあるのですが、一つありません
それ故に、神経を圧迫し、20年も左足は痺れっぱなしです。
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みっつめは、仕事の事故で、頭に荷物が落ちてきて、
首のヘルニアになってしまいました。
こちらも、首の神経を圧迫し、左腕が常時痺れた状態です。
本当は、腰にコルセットを巻いたり、
定期的に首を伸ばしにいかなくてはならないのですが、
僕は、あえてそれをしていません
別に、めんどうだからという訳ではなく、
コルセットを付けて、大げさにしたりすると、
「あぁ…自分は病人なんだ」と気分が滅入ってしまうからです。
「病は気から!」といいますよね。
だから僕は、気にしないようにしているのです。
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僕が19歳くらいの頃、喫茶店でバイトしていました。
足が悪いというお客さんがいて、毎回テーブルを動かしたり、
メニューにない品物を頼まれ、毎回だしたり・・・
そこで僕は、感じたのです。
病人って、そんなにえらいのだろうか?
「私は病人だから!」そう言ってしまえば、
何でも許されるのだろうか?
では、もっと体の不自由な目が見えない人は、
もっとえらいのでしょうか?
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もちろん、体の不自由な人がいれば、助けるべきだと思っています。
でも、僕が感じたコトは、病気を理由にわがままをいっている
としか思えないのです。
足が悪いから喫茶店のテーブルを動かす。
これは仕方がないコトとして、
特別メニューを出す必要があるのだろうか?
車椅子の方で、狭い道を塞いで、
ケータイを扱う理由はあるのでしょうか?
まったく目が見えず、誰にも頼らず、
杖と音を頼りに歩いている方は、すごいですよね。
ホント、尊敬してしまいます。
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僕は、病気だから!と甘えたくないのです。
甘えた結果、最終的に困るのは自分だからです。
街中で、目の不自由な人が歩いているのを見ると、
「どこまで行かれるのですか?ご一緒しませんか?」
と、本当は声をかけたいくらいです。
でも、僕が余計なコトをすれば、その目の不自由な方は、
ひとりで歩く訓練にならないのです。
そんなとき僕は、声をかけたい気持ちをグッと抑え、
僕の目から見えなくなるまで、見守っています。
本当に相手のコト、自分のコトを思うのなら、
甘えず、出来るだけ人に頼らず、生きていきたいですね。
今日の心得
病人だからと甘えない!病は気から!
「自分は○○病だから!」と思わない!
思ったところで完治しません。
そんなコトよりも、苦しい病気のコトは忘れて、
希望ある未来のコトを沢山考えたい!
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