思いやり
(現在4月25日午前0時を過ぎてしまいましたので、日付を調整させて頂いています)
友人からの電話(PC組立依頼)で、長電話になってしまいました。(^^;
(実は眠いのですが、頑張って書いてみます)
「思いやりとは何だろう?」
研究を重ね、答えが少し見えてきたように感じます。
思いやりは、「相手が○○だと思っているであろう、○○を求めているであろう、○○を行なって欲しいのだろう」と、相手が思っているのを想定し、行動するコトだと感じました。
例えば、僕は、道に困っていそうな外人さんや、ご年配の方がいると、近づいて、道案内をするときがあります。
その理由は、「誰か道を教えてくれないかな?」
きっと、そう思っているであろうを、基準にしたからです。
他には、「家族が○○を食べたがっているであろう…友人が○○を欲しがっているであろう」など
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そこで僕は、「はっ!」と感じたのです。
思いやりとは、自分の頭で分析し、「○○であろう、○○だろう」と相手が思っているコトを、推測しているように思えるのです。
「これは一体どういうコトなのだろう?」
相手を思う(考える)コトは、自分の頭の世界ですよね。
なら、もっと単純に、相手のコトを、自分だと思えばいいのではないでしょうか?
例えば、「相手が疲れているであろう」と考えるのではなく、「自分が相手と同じ仕事量だとしたら、疲れているね…そんなとき自分だったら、やさしい言葉が欲しいよね…よし!やさしく接しよう!」
もしかすると、真の思いやりとは、「○○だろう」と、難しく考えるコトではなく、もっとシンプルに、「自分が相手だったら、どうしてほしい?」と「相手を思う(想像する)」のではなく、「相手を感じる」コトなのかもしれないですね。
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実は、僕が日常大切にしているのは、「思う」と「感じる」を使い分けるコトです。
「○○だと思う」
思うだけなら、誰でも出来ます。
「沖縄は、暑いと思う…」
行ったコトがない人も、思うだけなら出来てしまいます。
でも、感じるとなると、話しは別です。
「沖縄と同じような暑さを感じる」
実際に、沖縄に行ったコトがある人の意見です。
ですので僕は、「思う(想像)」するコトよりも、「感じる(経験)」を大切にしています。
「思う・感じる」を意識して使い分けるようになると、世界を肌で感じやすいようです。
外の気温、外の空気、外の風、場の雰囲気、相手の雰囲気、気の流れ、運気の流れ
五感を研ぎ澄ませていると、ヒントを沢山頂ける(感じる)ようになります。
「こっちの道を通った方がいいように感じた、今は買わない方がいいと感じた、今は耐える時期であると感じた、今は動くべきだと感じた」
「感じた!あっ!ヒントだ!」ってね。
ふと感じたコトには、必ず意味があるのです。
僕が、このブログを書き始めた理由も、「なぜだか分からないけれど、文章能力を鍛える為に、ブログを書いた方がいいように感じる」なんの目的もなく、感じたままに書き続けて5年
今では、「ブログを書き続けていてホントによかった!」と、5年前の自分に感謝している程です。(もちろん!ヒントを授けてくれた神様にも)
相手を思う、自分を思う前に、素直に、自分を感じるコトが大切なのかもしれないですね。
最近、ふと何かを感じたコトはありますか?
それは、あなたへのメッセージかもしれないですよ。
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