書き続ける理由
このブログを書き続けている理由は、文章の修行場として、書かせて頂いています。
自分だけしか見ない日記では、「自分が分かるのでそれでいい」と、表現方法が乏しくなるからです。
不特定多数へ向けて、ブログを書かせて頂くからには、責任があります。
そして、「○○する!」と宣言してしまった以上は、続けないとカッコ悪いです。
自分にはっぱをかける意味でも、ブログは役だっているのです。
僕は、文章とは、その人の思想の塊(かたまり)だと思っています。
普段考えているコト、思っているコト、願望や批判、あらゆるコトを、文章で表現出来るからです。
僕が毎日、このブログに書いているコトは、実は、ほんの一部の思想でしかありません
このブログとは別に、日記を手書きしています。
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頭のなかにある部品(思っているコト)を、断片的に書いているのが、このブログです。
分かりやすく伝えるなら、僕の日記の下書きがこのブログなのです。
人間は、言いたいコトがあると、冷静さを失います。
例えば、「あの店にクレームを言いたい!」という感情剥き出しでお店に向かっても、冷静な判断が出来ないのです。
こういう経験はないですか?
相手に文句やクレームを言った後で、「あれも言っておけばよかった、これもいっておけばよかった」と…
それが、冷静さを失っていたというコトなんですね。
だから僕は、一度、ブログに吐き出すようにしました。
言い換えれば「第一稿目」なのです。
「第二稿目」になる日記には、冷静さがプラスされています。
そして、寝る直前に書いている「第三稿目」になる行動予定日記を書く頃には、結果が書かれているのです。
具体的に説明させて頂くと、
第一稿目:ブログにて、文章の可能性について書く
第二稿目:日記にて、文章が持っている危険性について書く
第三稿目:行動予定日記にて、文章の扱い方を改める方法を書く
こういう具合です。
頭のなかで、ちょっと思ったコト(断片的な部品)をブログに書くコトによって、殆どのコトが、その日のうちに、答えを見つけるコトが出来ています。
「伝えたい!書きたい!」と思う情熱と、
「これは違う!表現がおかしい!」と判断する冷静さ、
「そうなのか!そういう考え方や可能性もあるんだな!」と僕へ答えを導き出してくれるのが、文章なのです。
行動予定日記は、言い換えれば、僕は、自分で自分を制御するプログラムを毎晩書いているのです。
日本語という言語を使って、分かりやすい表現で、厳しく、そしてときには優しくいたわり、自分を応援する言葉を書いています。
だから、続けるコトが出来るんですよ。
そうですね…毎日、自分へラブレターを書いている感じです。
あなたも、自分自身へ、ラブレターを書いて見ませんか?
(あなたの心が動く文体で)
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