クリエイターになる為に、一般的には専門学校等で専門知識を身に付け、基本や応用、そして技術を身につける訳ですが…
今後のキーワード
・低予算
・デジタル処理、放送
・ライトノベル
・マンネリ化 (今回少々含む)
・二次創作 = 教育問題? (前回のつづき)
・情報量の多さ
・高齢化 (今回後半に少々含む)
・テレビ離れ
・古い著作権の考え方
今回は、実話を元に話を進めていこうと思います。
「プログラマ・システムエンジニア編」
(僕自身が専門学校に行きました)
幼い頃から、コンピュータを扱うのが好きでしたので、プログラマ、システムエンジニアになる為に専門学校に行きました。当時はまだ、PC も普及しておらず、Windows 3.1 も広まっていない DOS 時代だったのですが、発展途中の PC 業界だった為なのか、全く学校で習った事は、現場では役に立ちませんでした。
(教える先生が知識不足)
授業で習う事は、既に僕自身が学習していたので、特に面白さを感じなければ、新鮮さもなかったです。なにか発想的に面白い事を先生に聞いてみるのですが、特に面白いヒントやアイデアは頂けなかったのです。
(それはなぜか?)
教えている先生は、教科書 (マニュアル) とうりに授業を進めているだけで、マニュアル以外の事は無知だったのです。僕は思ったのですが「先生はどういう、根拠?意気込み?ポリシー?でコンピュータの講師になったのだろうか?」と疑問に思いました。
(愛は?)
僕自身パソコン教室や、若年者向けのインストラクターの経験があるので、気づいたのかもしれませんが、「僕はパソコンが好きで、便利で素晴しい道具だと思っているので、生徒さんに楽しく扱って、学んでもらうのが目的」で、授業は明るく楽しく進めていましたが、他の先生方もそうなのでしょうか?「仕方なしに講師になった、お給料が良さそうだった、カッコ良さそうだった」等の理由は含んでいないのでしょうか?、もしそう言う考えなら、自然と授業だって手を抜く事でしょうし、物事を教える意気込みや、思いは生徒さんには伝わらないと思うのです。
(プロ意識が感じられない…)
皆さんは、こういう風に思った事はないでしょうか?「自分が○○業者だったら、ここまでしっかり面倒みるのに!」や「自分だったらもっと判りやすく説明出来るのに!」等、教育だけでなく、接客業にしても、サービス業にしても、開発業にしても「プロ意識が感じられない」と社会全体に感じた事はないでしょうか?
収入の為、生活の為、等の理由は確かに今の世の中の仕組みでは仕方が無いのは判りますが「どうせするなら、徹底的にやる!」と言う発想は出来ないのかな…
教える先生自身が楽しんでないと、それを聞いている生徒さんはもっと楽しくないですよ…
「アニメーター編」
本来はこちらがメインなのですが、友人の事を書く前に自分の事を書かせて頂きました。
この場に書いても良いか、友人に許可を得ています。
(アニメーターになろう)
そう決意した友人は、某アニメーション学校に入学、幸い担任の先生は良い先生だったそうです。
(学校の事は忘れてくれ)
友人本人ではないのですが、同期の生徒さんは卒業後、某アニメーション会社に入社した時に言われたそうです。なぜでしょうか?「学習して学ぶ事と現場とでは違う」と言いたいのでしょうか?それとも「学校で学んだ事は役に立たない」と思われているのでしょうか?いづれにせよ、こういう考え方で面接される会社が増えるようでは「専門学校卒」の意味があまり無いと言う事になりますね。
(あぁっ!、某アニメーション会社が言いたい事がなんとなく)
友人は、一時的に某アニメーション学校の講師になるのですが、学校の方針的に「教え方の指導や、進行方法等の具体的な説明」は無く「マニュアルを参考に授業を進める」と言うのが基本スタイルだったようです。マニュアルで授業を進行するだけなら、誰でも出来る訳であり「物事を教えるとは、やる気を持たせるには、発想力を高めるには」等の「先生の指導」も無く授業を進めるのであれば、マニュアル (教科書) に従った生徒さんは「皆同じ考えと発想しか持てない」のではないでしょうか?皆教科書とうり…これでは、同じような発想しか生まれないし、固定概念も出てくるでしょう、アニメーション会社からしても「マニュアル学習だけの人材は必要無い」と言われても仕方ないでしょう、同じ考えの人が複数居ても…結果的には「オリジナリティある作品は生まれない」=「マンネリ化」しても致し方ないのかもしれません。
僕の個人的な意見では「生徒さんに教える」以前に「学校の指導や方針的 (1) に改めるべき」であり「クリエイターを育成する以前に、先生を育成すべきだ!」と友人と話していたのですが…
(1)
短い文の中に下記の意味を含んでいるつもりでしたが、判りづらい面もある事から補足させて頂きます。
"方針的" とは、先生方が生徒さん達に教える事や、方法等を努力しようと心得るのですが、学校の上の方達の圧力により、それが旨く実現出来ない意味を含んでいます。下記にも書いていますが、学校の上の立場の方からすれば、子供の数の減少や予算の都合で少しでも予算を減らす為の努力も理解出来ますので、これを国が支援する事で、学校の上の方も予算等の心配をせず、教育に専念出来るように国に対して行って頂きたい事です。
現在は方針的に良い方向に変わっているとの事です。
某アニメーション学校からすれば、予算的に難しい事や、高齢化社会であり生徒さんが少なくなり、継続的に難しくなる事も理解出来るのですが、日本が世界に誇れる文化として、アニメーションは偉大な存在だと思うので、国がクリエイター等を進んで育成し、また学校等の教育機関にも援助すべきではないでしょうか?
「子供が大切である!」と「青少年法や携帯フィルタリング等」に力を入れる (予算を使う) 以前に「学校等の教育機関を改め支援するのが先」であり、そこに予算を使うべきではないでしょうか?
「携帯フィルタリング?」子供に携帯の正しい使い方を教育したのでしょうか?
「違法ダウンロード禁止?」学校でパソコンを扱う授業の中で著作権等を教えたのでしょうか?
良い教育をすれば、青少年犯罪だって減ると思います。「現在のいい加減な教育で、大人の都合で法律だけで片付ける」のも都合が良すぎませんか?
さて、これ以上書き出すと「インターネット世界」の事を教える大人が、時代についてこれていないので、教えるのが困難…等の問題になるので今回はこれぐらいで…
勿論全ての専門学校がそういう考えである訳ではなく、良い学校や素晴しい方針の学校もありますので、全ての専門学校を行く事に対して無駄と言っている訳ではありません。
今回の話を元に、キーワードに
・マンネリ化 = 教育問題含む
・二次創作 = 教育問題? = 国が支援すべき
を引き続き記載していきます。
つづきは次号で…
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